「運(うん)イイね〜!」とか、
「今日さー、○○があって運(うん)ワルかったわ〜」とか、
よく聞く。
『イイとかワルいとかない!』説。
これは、さらによく聞く。
運のあげ方とか、
運がよくなるとか、
そんなことには興味はない。
だけど、
興味がある。
つまりは、
「運」ってなんやねん。
ってことに興味がある。
たとえば、
一本のえんぴつがある。
誰かにとっては、
いつもそこにあるし、
なかったら、
100均でもコンビニ行って買ってくれば
いいような
「あたりまえのえんぴつ」
そして、
また、誰かにとっては、
『おまえ、えんぴつもってんの!!!?すげー!!!』と
いつもはないし、
特別なとき、手に入る代物。
「あたりまえにない、えんぴつ」
がある。
「あたりまえにない、えんぴつ」の人にも、
「あたりまえな○○」がある。
「あたりまえな○○」の人にも、
「あたりまえにない★★」がある。
もしも、
地球上に人間という生き物がたった一人、
あなただけだったする。
比べようもない環境でも、
それでも、
あなたは、
「同じ人間がいなくて、イイ(ワルい)」
のどちらかを思う。
考える生き物なかぎり、
一生涯、オンリーワンの明快な基準と
添い遂げることになる。
(もう一度いうけど、これは運をあげるための話ではない。)
「運(うん)」システムは、
すごい。
比べるものがなくても、
「ない!ことと比べて、運(うん)がイイ(ワルい)」
となるのだ。
おそらく、止まることはなく、
タンタンと進んでいくもの。
限りのない無限の宇宙、
誰も端(はしっこ)を知らない感じ。
ここで感のいい人は、気づくと思う。
『イイとかワルいとかない!』になる。
ずーーーーっと続いていく。
ようなものだから。
『イイとかワルいとかない!』になる。
実際、
同じ時間、同じ環境、同じ条件で、
何かを体験しても、
人によって、
「運(うん)がイイ!!」と思う人と、
「運(うん)がワルい!!」と思う人が、
生まれる。
(極端に思うということよりも、
「どっちかというと、イイ(ワルい)かな?」も含む。)
ということは、
それ自体に、イイ(ワルい)はない。
それを決めるのは、
考える生き物サイド。
絵もそうで、
みる人の状態(気持ちや状況)で、
一枚の絵が、
喜びの絵にも見え、
哀しみの絵にも見える。
これは、「運(うん)」ということになる。
見てもらうタイミング、環境が、状態が、
一枚の絵を喜びの絵に変える。
作家がどんなに、
哀しみの絵を描いたとしても、
みる人が超ハッピー!だと、
哀しくない。
ムンクの叫びを、
お笑い番組でみても、
お笑いのギャグにしかならない。
でも、おもしろいでしょ?
ムンク、お笑い番組でみたら。
(もしかしたら、おもろない人もいると思うけども。)
じぶんの中で、
何かあったとき、
いいやん!って思うでしょ?
アカンわ〜!って思うでしょ?
行ったり来たりで、いいんです!
それが時間と共にあることやし、
それがじぶんらしいを作ってきたから。
何かを感じた瞬間から
運(うん)は、はじまってる。
『運(うん)』システム、
めっちゃおもしろい。
グルグルと点が、
ブワーっと数珠が伸びるみたいなったり、
ギューーーっと一個になろうとしたりしてる感じが!
と、いうことはさー、
「じぶんたちは何を体験してんねん!」
「なんでカラスは黒やねん!」
「これはホンマにあるのか〜ないのか〜!」
「比べなくなったら?」
って〜〜、興味は尽きない。
けど、それはまた今度。笑
延々とトグロし続ける
運コのパラドックス。笑
さいこー!