ぼくが19歳ぐらいのときだったと思う。
ほんとに、まあ、
悩み、繊細で、気が弱くて、よく泣く人間で。
(今も変わらないだけどもね。)
何かあるたび、魔女先生のアトリエに、
夕方頃行っては、
怒られたりも、慰めてもくれて、
今思えば、よくよく聞いてくれたもんだなーって。
その中で今、思い出すのが、
「人は言い訳を聞きたい生き物」
っていう言葉。
ぼくがその19歳くらいで、
先輩に怒られてるとき、
ずーーーっと口答えもせず、
ずーーーーーーっと気にして。
ずーーーーーーーーっと、心の中を手放さず。
【言われてることに、
すべてにおいて「はい。そうです」と応え続ける】
「言えばいいっしょや~~!(北海道弁)」
I am YESMAN!笑
全部、そうです!
全部、あなたの言ったとおり!
と応える。
応えるんだけど、
心が「実は、ほんとうは、○○なんだけどなー」
っていうことがあるので、苦しい。
この「○○」←のことだって言ったところで、
その人が傷つくようなことでは、もちろんない。
ただの、事実的なこと。
なのに、言わない。笑
そして、その人も、
ぼくが言わないので、いっぱい言ってくる!
その人は、本当はぼくの心の声が聞きたくて、
言ってるのに!
なのに、言わない。笑
ずーーーーーっと繰り返し。笑
そこで魔女先生に、そのことを聞いてもらったとき、
「人は言い訳を聞きたい生き物」
「人間は、完璧じゃない。
成長していくために、話をする口がついてる。聞く耳がある。」
と言ってくれた。
ぼくも、言ってくれてた人も、
ぼくが成長を止めてしまってた!
めっちゃ損してた!
それに気づいて、少しずつ、
言えるようになっていった。
話を聞くっていうのは、
YES!YES!っていうことやない。
YES!YES!は、全然、話聞いてない証拠や。
話を聞くというのは「お話をする」っていうこと。
「ちゃんと、じぶんの思ったことを言う。」
これが、相手の話を聞いたよ!っていうこと。
これを気づかしてくれたのが、魔女先生。
じぶんの思ったことを言って、はじめてつながる。
心も、やりたいと思ってることも。
ここから、かなり飛躍させてもらったなー。
絵や作品を見てもらおう!
っておもったキッカケかもしれん。
「語るより見て感じたことが語ること」と思ってた。
いや、今もそれは、思ってる。
でも、
「言い過ぎない程度に、言わせてもらうこと」
も必要かもしれないなーっということを、
今、最近、いろんなお声かけしてもらう中に感じてる。
きっとそれが、今のぼくには出来るので、
神様があたえてくれてるんだろうって、思ってる。