<人間はみな、大河の一滴である。>

毎日、コツコツと描いてきて
おそらく2ヶ月くらい。

100号サイズの絵を、
ここに来て、全部消しました。笑

理由は、言ってしまえば、

『描きたいものが、
はっきり気づいたから』

です。

『こういうこと伝えたいんだよ〜』と想い、
キャンバスに描き進めてきた。

ぼくは、この絵をとても気にいってるし、
伝えたいもんも入ってる。

でも、

気づいてしまった!
というより、

脳裏に、はっきりと見てしまった。

伝えたいことが、
シンプル且つ、鮮明に、はっきりと。

『これだーーーー!!!!!』

となってしまった。

そのきっかけをくれた一冊。

『大河の一滴』

人間はみな大河の一滴である。

ということなのだ。

つまりは、循環なのだ。

少し本のネタバレになるが、

『人間は死ぬと、

海の一部になり、一度、1つになる。
そして、土に吸収され、分解され、
蒸発し、空にあがっていく。

そして、また、一滴として誕生する。』

この本では、

このようなことを、
『人間はみな大河の一滴である。月並みの言葉だが、』

と書いてあった。

バチーン!!!!!!!!!!

となった瞬間だ。

このバチーンとなったときに、
脳裏に見ちゃったんだよね〜。

言葉では絶対
表現しきれない感覚の部分の表現を見ちゃった。

ホント、見ちゃった。笑

言葉では、『苦しみ』という文字は、
苦しみしか与えられないけど、

本当は、苦しみは、愛であり、人生であり、
時間から与えられる優しさじゃないかと思ってた。
ずっと。

苦しみはたしかにイヤなことだし、
出来ればさけたいことなんだけど。

一度しかない人生で、
苦しみや悲しいこと、
辛いことがない人
なんて一人もいない。

ただ、

ただ、(重要だから二回言った。)

ただね!(ホント大事だから3回言った。)

苦しみ(かなしみ)とかね、

そういうことを、

どう捉えて、
どんな感情になって、
どうしていくのか。

っていうのは、

人間という生き物が『考える』
という能力(強み)を最大限に活かし、
進化できるところじゃないかな。

それが、一度しかない人生においての
時間さんがくれる愛だと思う。

言葉は、こういうとき、とても便利だ。

じぶんの感情の動きを、
相手にコト細かく伝えれるから。

そして絵は、

人間の『考える』乃至『感じる』という能力を、
最大限に引き出してくれる。

描く方も、
見る方も、

そしてぼくは、そのこと自体が、
本でいうところの

すべてが『大河の一滴』なんだと思う。

つまりは、
『循環』なんだと思う。(本当に本読んでみてね。笑)

ぼくは、一番最初にこの100号サイズに向き合う前に、
付箋したことは、

『崩壊再生』
『センスの良さと独自性』
『点と線』
『じぶん』
『太陽と月』

だった。

今この文字だけだと、
ぼくの本当に感じている言葉と
みんなといっしょにはなってないと思う。

この感じていたものと、
たった今、
100号サイズを消すまでさせたイメージが、

ホント、バチコーン!ってなったんだよ。

そして、消した。

二ヶ月、コツコツ描いたもんを、
消した。

人間的な理性と、衝動と、
気づいちゃったじぶんへの罪悪感と、

(間に合うのか。。。)
(次描いて、いい感じになるんやろか)
(はたしてよかったんだろうか)

正直、葛藤といったら、半端じゃなかった。

今、ぼくは、乾くのを待っている。

絵の具が乾くのと、
ココロがよりシンプルにドライになるのを。

ドライになったら、
一滴がより、繊細にしみ込むように。

進むしか、見えてこない。
行くしかない、イケるとこまで。